[ 書き下し? ]
子曰く、学んで時に之を習う、また説ばしからずや。朋、遠方より来たる有り、また楽しからずや。人、知らずして慍《うらみ》ず、また君子ならずや、と。
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[ 意訳 ]
先生がおっしゃった、
「学んで(学問をして)適切な時があるごとに先人の事績や善いことを何回も反復して思考する、習う。覚るところがあり、深く心に喜びを感じるではないか。
既に学んで反復して考えるようになると力がつき、ますます学問は面白くなり、力は熟し、やめることができなくなる。また己の力を知った同門の友が遠方よりやってきて、己の学んだことを互いに質問しあい、教え合い、善が人に及ぶようになる。お互いに楽しくなるではないか。
ますます学問が進むと、凡人が私が学問や徳を内に秘めていることを知らなかろうと、まだまだ己の学問を進め、先人のことを考え習い続けて、怒りを抱いたり悶えるようなことはなくなる。また立派な人間(君子)であり、学ぶことは止めることなどできはしないではないか。」と。
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[ 自由訳 ]
先生がおっしゃった、
「学《まな》んで、己を磨《みが》く。人の行動や善《よ》いことを知って、考えたり、真似《まね》たり、試《ため》してみる。
いいことを覚える。向上する、心に喜びを感じる。
考える習慣がつく。「人から学ぶ」ことがわかる、世の中が面白くなる。人や書物から学ぶようになる。
力がつくと、友が、様子を聞き、遠方からやってきてくれる。
学んだことを話しあい、磨きあう。知識が広がり、素晴らしい生き方のことがひろまる。
学ぶことが楽しくなる。友が集まる。
他人が、自分のやっていることを知らなかろうが、関係ないことに気がつく。
これまでどおり、自分を変える努力だけをする。
他人に怒りを抱いたり、低い評価に悶《もだ》えたりしなくなる。
このようであれば、立派な君子《くんし》だ。」
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[ 原文 ]
子曰、学而時習之、不亦説乎。有朋自遠方来、不亦楽乎。人不知而不慍、不亦君子乎。